3月11日(金曜日)午後2時46分に起きた未曾有(みぞう)の東日本大震災。東北地方で最も大きな被害を受けた宮城県。事務所や役員・会員も大変な被害を受けました。3月20日には、宮城県生活と健康を守る会連合会は、災害対策本部を立ち上げ、山脇武治事務局長らは、単組の被災状況をつかむと共に、石巻に第一次の救援訪問に入りました。山脇事務局長からの現地ルポです。
3月22日、午前6時、仙台市の太白(たいはく)区生活と健康を守る会の豊島寛人(とよしまひろと)さん(40)と2人で、災害救援用の車に救援物資を積んで被災地・石巻にむけて出発しました。
事務所へ「県連に連絡を」の張り紙
高速道路を通って石巻市の中心部に。まず石巻生活と健康を守る会の事務所に直行(ちょっこう)すると、意外にも事務所は無傷(むきず)で「県連に電話を下さい」と張り紙をしました。
住宅地で自衛隊の給水車が給水活動中。「もしや会員さんが」と思い行列に近づくと、古くからの会員で幹事の大内幸子さん(73)が。駆け寄って固い握手。「生きていてよかった」と缶詰を渡す。近くの小学校の避難所に山野辺艶子(つやこ)副会長(75)が無事とのこと。学校の2階の部屋に行くと、山野辺さんが床に毛布1枚敷いただけで寝ており、駆け寄ってお互いの無事と再会を喜んで固く握手。彼女から「生健会の中心役員3人が車で一緒に移動中、津波に流され消息不明だ」と。食料と使い捨てカイロを渡して、半沢明会長が入院しているという診療所(避難所)に向かいました。
大津波に流された3人奇跡的に無事
会長の病室に入ると、何と行方不明と言われていた3人の1人、幹事の青沼ユミ子さん(78)がいました。思わず固く抱き合う。「どうしたの」「流されたけど助かったの。避難所に4日間いて3日間は飲まず食わず。ここの診療所に来て食料にありついたけど、飴(あめ)玉一個だけだった」と苦笑い。一緒だった日野伸子さん(70)は、この診療所に、高橋質(ただす)さん(62)も無事とのこと。半沢会長夫妻も、奥さんが地震2日前にケガで入院し2人とも無事とのこと。しかし、海側・東松島市の菊池冨義さん(66)は亡くなったと分かり、大きな衝撃を受けました。
無事だったもう2人を見舞って固い握手を交わした後、再び山野辺さんのところにもどり、3人が無事なことを伝えると涙を流して喜びました。
青沼さんら3人が被災した湊地区はじめ市内各所を車で見て、がれきや建物崩壊などの惨状(さんじょう)に絶句(ぜっく)。このがれきの下に被災者がいることに心を痛めつつ帰途につきました。
被災者に全国の心を届ける
募金25万円、福島へ
新潟県生連が救援物資を手渡す
3月23日、全生連災害対策本部の辻清二事務局長と新潟県生連の吉田松雄事務局長らは、福島市の福島県生活と健康を守る会連合会を訪問。全国から集まった25万円の募金を弦弓(つるゆみ)高明事務局長に手渡しました。また宮城と岩手の県連にも24日、訪問し25万円を手渡し激励しました。
(2011年4月3日号「守る新聞」) |