正式には「中学校夜間学級」といい、戦争や家庭の事情、病気など、さまざまな理由で義務教育を修了できなかった人のための夜間中学校。全国に35校、約3000人が学んでいます。80歳で夜間中学に入学した、大阪・此花(このはな)生活と健康を守る会の大山房子さんに学ぶことへの思いを聞きました。
「毎日、学ぶことが楽しくて」
此花区の市営住宅に1人で住む大山房子さんは、大阪環状線(かんじょうせん)の駅名を漢字で書く学校の宿題をしながら満面の笑顔で話します。
“大阪市立天満(てんま)中学校夜間学級”が、大山さんの学校です。
「学ぶ場を見つけてから、ありのままの自分が出せて堂々(どうどう)としていられるようになった」という大山さん。まわりの人からも「このごろ生き生きしてるね」と言われます。「もっと早く、夜間中学に通っていたら良かった。でも、実らない果実は食べられないでしょ。私は、この歳(とし)でようやく実って、今が“学び時(どき)”なの」と目を輝(かがや)かせます。
字が読めずくやしい毎日
自分で手紙を書きたいと
大山さんは1931年(昭和6年)、岐阜県(ぎふけん)で11人兄妹の末っ子として生まれました。物心ついたときには母は亡く、父も体が弱くて兄の縫製業(ほうせいぎょう)で生計を立てていました。大山さんは毎日、食材の買い物や兄の子のおしめを洗ったりして家族を助け、学校には全く行けずに育ちました。
字が読めずくやしい毎日を過ごし、「自分で新聞が読めるようになりたい。手紙が書けるようになりたい」と、いつも思っていました。
22歳で結婚し25歳で子どもが生まれたときは、「これで私も子どもと一緒(いっしょ)に一(いち)から学べる!」と心が躍(おど)りました。しかし、夫が蒸発(じょうはつ)し自(みずか)らが働くことになって、勉強の時間はとれずじまいになってしまいました。
5年前、此花生活と健康を守る会が市営住宅の家賃減免(げんめん)の宣伝行動で、たまたま大山さん宅を訪ねたときに入会。班会に出席しても字が読めず、くやしい思いをしました。
そんなとき、友人が夜間中学校のことを教えてくれて、連れて行ってくれました。教頭先生の話を聞いて、2011年4月の入学を決心、80歳でした。
楽しかった初の修学旅行
教育によって人間らしく
やさしい先生方に支えられながら、一つひとつ勉強しました。
好きな科目は読み書きを学べる国語。苦手(にがて)な英語は、「アウトドア」や「イベント」など日本語になっている言葉から覚えます。
10代から80代までが集まる夜間中学校、国も韓国(かんこく)、中国、タイなど多様です。昨年10月の近畿(きんき)夜間中学校の連合運動会では、輪投げとゲートボールに参加しました。伊勢神宮(いせじんぐう)への初めての修学旅行は、うれしくて前日は眠れませんでした。「ワイワイはしゃいで、ものすごく楽しかった」。
大山さんは「こんな学校があることを知ってもらいたい」と、此花生健会の事務所(じむしょ)の前にポスターを張(は)らせてもらいました。
今、大山さんは「人間は、生きていくうえで基礎(きそ)である教育によって本当に人間らしくなる」ということを痛感(つうかん)しています。人間らしい暮らしを求める「生健会」の運動とも重なり、生存権(けん)裁判(せいぞんさいばん)の署名や夜間中学のパンと牛乳の補食給食の復活(ふっかつ)を求める署名運動にがんばる毎日です。
(辰巳(たつみ)孝太郎通信員)
(2012年3月4日号「守る新聞」) |