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東日本大震災から1年 人の意志・行動で 原発止めよう 3・11全国各地で集会やデモ

 東日本大震災から1年、3月11日には全国各地、海外でも、集会や原発なくせの行動が取り組まれました。犠牲者を追悼し、被災者の立場に立った復興や防災対策、原発廃炉を求める決意を新たにしました。

 “安心して暮らせる福島をとりもどそう”と、「原発いらない! 3・11福島県民大集会」が郡山市開成山野球場で開かれました。時折、日がさすなか、スタンドはみるみる参加者でふくれあがります。県内・全国から1万6000人が参加しました。
 “一人でもひとりじゃない 命結(ぬちゆい)に結ばれて どこまでもいつまでも までいの命咲かそ”加藤登紀子さんの歌声が大空に響き渡り、私たちもスタンドからボンボンを振り振り、会場がひとつになりました。

住民の意向汲まぬ国・東電被災者が苦しい思い切々と

 呼びかけ人の清水修二さん(福島大学副学長)が「福島県民の叫びを全国に届けよう」と訴え、作家の大江健三郎さんが連帯あいさつ。地震発生の午後2時46分、亡くなった方々を追悼(ついとう)し全員で黙とうしました。
 被災者本位の復興を求める、苦しい、切ない思いを6人が訴えました。小学生の2人の子どもと山形に避難した母親は「逃げる、逃げない、食べる、食べない、洗濯物を干す、干さないなど苦しい決断を迫られた。今は米沢市で暮らし、福島市の職場に通っている。でも、私も子どもたちも福島が好きだということは変わらない」と切々と話します。
 飯舘(いいたて)村で高原野菜を作ってきた男性は「全てを失った。高い放射能の中に村民は放っておかれた。これからどうやって生きろというのか。原発事故は明らかに人災。国と東京電力は住民の意向を何一つ汲(く)んでない」。
 浪江(なみえ)町から9か所を転々とした本宮町の仮設住宅の女性は「100人いれば100人の、1000人いれば1000人の物語があったはず。地震は止められないが、原発は人の意志で行動で止められる」と呼びかけます。

あらゆる人の損害賠償求め「賠償をさせる会」結成へ

 6人の叫びは私たちの胸に熱く伝わり、「あの原発さえなかったら、こんな苦しみはなかった。国と東京電力への怒りが、さらにこみ上げてきた」と、福島市生活と健康を守る会の小林登雄(すみお)さん(78)はこぶしを固く握りしめました。
 原発事故により、福島県内外で避難生活を送る人は16万人。福島県の会員の中にも、孫たちが仙台や山形に避難している人がいます。4月7日には生活と健康を守る会も参加して「賠償をさせる会」を結成し、あらゆる人の損害賠償を求めた取り組みが始まります。
(安田稲子通信員)


被災者本位の復興にしよう

震災復興なくせ原発3・11行動in東京

 東京・井の頭公園には8000人が結集。全国労働組合総連合の大黒作治議長が「『原発なくせ』は世界の流れ。運動を大きく発展させよう」とあいさつし、ドイツ環境自然保護連盟のエアハルト・シュルツさんが「原子力政策を政府任せにせず、再生可能なエネルギーで原発に頼らない社会をつくろう」と、エールを送ります。
 岩手県田老町漁協の代表は「消費税を上げる前に、年金を引き下げる前にやることあるんでねえか」、宮城県の坂総合病院医師は「実効性ある支援を継続し、住民本位の復興を」、福島県労連議長は「野田首相の原発収束宣言は断じて許せない」と訴えました。「原発ノー学生チーム」の大学生は、「一緒に原発ノーの世界をめざしましょう」と呼びかけ、大きな賛同と激励の拍手がわきました。
 練馬生活と健康を守る会の代田洋二さん(60)は、「原発事故の張本人の東京電力が上から目線で補償額を決めるなど、許せない。被災者支援と原発をなくす運動に頑張る」と決意しています。

(2012年3月25日号「守る新聞」)

 
   
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