全国生活と健康を守る会連合会
   
トップページへ 前のページへ
 
 
全生連の紹介
会からのお知らせ
発行物の紹介
暮らしに役立つ制度紹介
各地の生活と健康を守る会
生存権裁判
アクセス
 
守る新聞からのおもなニュース紹介

2013年 新年座談会 「SOS」で命救われた 札幌市北区生活と健康を守る会 今度は仲間のために

 北海道札幌市の北区生活と健康を守る会は、昨年9月に新潟県湯沢町で開かれた第39回全国大会で、「守る新聞」の毎月連続拡大賞と、会員比読者拡大賞をダブル受賞。現在も拡大を続けています。若い会員や読者も増え、日々の活動は活気にあふれています。北海道生活と健康を守る会連合会副会長の細川久美子さんの司会で、若手会員に、新年の抱負や「会」の魅力などを語ってもらいました。(西野 武記者)

 リーマンショックのあおりを受けた2008年、働き盛りの労働者が派遣切りや雇止めに遭い、愛知県や滋賀県などで働いていた若者たちが仕事を失い、厳しい冬の北海道へ相次いで戻ってきました。しかし、住む家も、仕事もなく、路上や、安心して眠ることなどできない簡易宿泊所などで不安な日々を過ごしている姿が、連日新聞やテレビで報道されました。
 北海道生活と健康を守る会連合会は2009年2月、「SOSネットワーク北海道(=以下SOS、※1、2面にことば解説)」を北海道労働組合総連合や、北海道社会保障推進協議会、弁護士・司法書士らと立ち上げました。
 街頭相談会を3年間で16回(833件の相談)開催。生活保護を利用しなければ生きていけないという、暮らしに関する相談は約300件に上りました。
 北区生活と健康を守る会は、特に力を入れて取り組んできました。多くの若い人を「会」に結び付けることができ、北の大地から元気を発信しています。

派遣切りに遭い「守る会」に入会

 細川 新年あけましておめでとうございます。今日は、「守る会」を大いに語ってもらいます。原田光司事務局次長は、「SOS」の相談会に来た第1号でした。
 原田(50) 2009年2月に「北区守る会」に入会し、同年3月から事務局次長を務めています。以前は、北海道でトラックの運転手を20年、栃木で派遣の仕事を2年していましたが、突然契約を切られ北海道に戻ってきました。仕事がなく09年2月16日に、北区無料低額宿泊所に入りました。食事は、ないに等しく、ほとんどの人はボランティアの人の炊き出しに頼っていました。私は、2時間かけて日払いの仕事に通い、なんとか食べていました。
 細川 そうした生活はつらいでしょうね。
 原田 いつもそこからどうしたら出られるだろうか考えていました。第1回の「SOS」の相談会で「北区守る会」の稲見眞佐子事務局長(66)と出会い、「生活保護を申請しましょう」と言ってくれて、仲間7人と申請しました。その日から、みんな表情が明るくなりました。
 細川 仕事が見つからず、どうしましたか。
 原田 前の会社の離職票の退職理由は、会社都合にしてもらえたので、すぐに手続きを取って、失業手当が1年間ありました。雇用保険受給開始後、稲見さんから、「『守る会』を手伝ってください」と声をかけられました。その後、働く場所創出のために、NPO法人(※2、2面)を立ち上げ、その事務局長として活動しています。

働く場所と仲間が私たちの“活力”に

 細川 事務局長の稲見さん、どんな思いでNPO法人を立ち上げたのですか。
 稲見(66) NPO法人は、11年4月に立ち上げました。その前にも、どうにか仕事をつくり出したくて、リサイクルショップなどをやりましたが、挫折の連続でした。どんな形でもいいから、仲間が社会とつながる環境が必要でした。08年リーマンショック以降の派遣村、「SOS」の中で、若い人が私たちと結び付いてくれて、雇用保険を受給している原田さんを中心に、NPOで働く場をつくり出しました。働く場所があって、仲間がいることが、私たちの活力になっています。やはり、生きていく上で、働く場所が必要です。自分の力を評価してもらえる場所が必要だと思いました。

役所の担当者が「守る会」を紹介

 細川 みなさんも、入会したきっかけを教えてください。
 須藤(31) 下の子を妊娠して生活が厳しくなり、役所の保護課に「守る会」を紹介されました。
 西塚(30) 5年半前に、車に一切を詰め込んで、ふるさとを捨て、札幌に出てきました。知人から北区の稲見さんを紹介してもらい、少しの間、生活保護を受けて、暮らしを立て直そうと考えました。
 大場(39) 派遣社員で紋別に行っていましたが仕事なくなり、札幌に出ればどうにかなると思い出てきました。貯金も底を尽き、短期間路上生活を経験しました。「SOS」とつながって、「守る会」を紹介されました。
 (50) 私は離婚し、自分一人で、生活保護の相談に行ったら、役所の人から「守る会」を紹介されました。
 高橋(41) 5年前に車の事故で、体を壊して、ずっと働くことができませんでした。知人から、「守る会」を教えてもらいました。
 山中(35) 仕事がなくて、いろいろな所を転々としていました。道内で仕事を探していましたが見つからず、ハローワークに行っても駄目で、役所で「守る会」を紹介してもらいました。その間、2週間ぐらい路上生活を送りました。
 細川 話を聞いていると、役所の担当者が「守る会」を紹介しているようですが。
 須藤 同じ人です。
 塚越(29) 父が、会員だった関係で、入会しました。
 石橋(32) 病気が原因で、働けなくなり、お金も底をつき、病院にも行けなくなりました。職場の知り合いが、「守る会」を紹介してくれました。

「利用しにくい」は憲法と離れた制度

 細川 生活保護受給などでつらかったことなど、何か感じたことはありますか。
 西塚 夫が病気で働けなかったので、ケースワーカーから「奥さんが頑張るしかない」と言われ、困りました。どう頑張ればいいかは言わずに、とにかく「頑張れ」だけでした。どうにか仕事は決まったのですが、体を壊し、仕事には4日しか行けなかったです。病院の人に「もう頑張らなくていいよ」と言われて、心底ほっとしました。ここにいる子を妊娠したときも、ケースワーカーから「子どもは諦めて」と言われ、言葉にできないほどつらかったです。
 稲見 そのときは、みんなで役所へ抗議に行きました。
 須藤 出産して1か月で就労指導がありました。制度を受けたときは、「元気な子を産むことだけを考えてください」と言われました。「元気な子が生まれても1年ぐらいはつらいと思いますが、頑張ってください」と言っていたのが、病院から帰ってきたその日に電話あり、「1か月後に訪問します」と言われました。訪問の第一声が「お仕事を探しましょうね」でした。「3か月待ってください」と言いました。保育園などのサポートの説明もなく、とにかく「働け」でした。
 細川 最後に、新年の目標を聞かせてください。
 石橋 自立です。
  自立したいです。会員さんは高齢者が多いので、孤立死をなくせるような活動をしていきたいです。
 細川 生活保護は、受けるというより利用するというスタンスが大切かもしれません。むしろ、憲法に保障されている生活保護の制度が利用しづらいことが問題です。
 須藤 今まで母に心配をかけたので、今年は、母に安らぎを与えられる年にしたいです。
 原田 こうした仲間と出会えて、今では派遣で切られて良かったと考えられるようになりました。節目節目けじめをつけて前を向いてやっていきたいです。
 細川 私には、社会保障を守り、拡充するという思いが根本にあります。みなさんも「守る会」が土台になるようになると、本当の意味での自立になると思います。
 守神(81) 「守る会」運動を、さらに充実させたいです。紆余曲折(うよきょくせつ)はありましたが、自分自身ここまでこられて幸せです。


札幌市北区生活と健康を守る会の役員(座談会出席者)

「会」の充実を

会長 守神 正純(81)

 60年強の運動には、いろいろなことがありました。「守る会」がここまできたのも周りのみんながいてくれたからこそです。さらに、若い人たちと一緒に「会」を育てていきたいです。

「寄り添う」柱に

事務局長 稲見 眞佐子(66)

 「守る会」に入る前から、行政書士の仕事をしています。守神会長らと「寄り添う、つながる、一緒に生きる」をテーマに、ここまできました。会長の背中を見て、若い人も育っています。

 原田光司北区守る会事務局次長、大場黄美子さん、西塚妙美さん、須藤英未さん、山中啓史さん、塚越宗さん、高橋高代さん、盛尚実さん、石橋亮さん(司会=細川久美子道生連副会長、順不同)


ことば解説

SOSネットワーク北海道※1
 2009年から路上生活者などを救うために、反貧困ネット北海道、北海道生活と健康を守る会などと、街頭相談会を行っている。また、道生連へも相談が多く寄せられ、3年間で社会保障に関する申請は、約1万件に上っている。

NPO法人「みんなの広場」※2
 「守る会」事務局次長の原田光司さんが「みんなの広場」の事務局長を務め、その中で、若い人を中心に、「NPO高齢者・障害者サポート事業(ささえ愛)」(11年4月認可)、「ホームレス・生活困窮者支援事業(絆)」(11年11月認可)、「地域活動支援センター(昴)」も運営している。

(2012年12月30日・2013年1月6日号「守る新聞」)

 
   
  Copyright (C) 2007 全国生活と健康を守る会連合会 All Rights Reserved.