安倍政権は、社会保障の削減を進め、アメリカと共に世界で戦争をできる「戦争法案」の成立に向け暴走を続け、緊迫した状況が続いています。憲法9条、25条は、解釈で改悪されてしまうのでしょうか。沖縄憲法25条を守るネットワーク会長で琉球大学の高田清恵教授が寄稿してくださいましたので紹介します。
6月に沖縄25条の会発足
沖縄憲法25条を守るネットワーク(沖縄25条の会)は、今年6月、憲法25条が定める健康で文化的な人間らしい生活を営む権利=生存権の実現を目指して、沖縄の多くの団体や個人が協力して発足しました。
きっかけは、昨年10月に沖縄でも9人の方から、生活保護基準引き下げの憲法違反を問う裁判が提起されたことです。同時に、現在社会保障制度全体の大きな「改革」が行われ、生存権の軽視・無視が進められる中で、多くの人がつながり、憲法25条を守る大きな力にしていくことを目指しています。
いま、日本では貧困率は過去最高を更新し、生存権の侵害が深刻になっています。
沖縄は、所得の低さや失業率の高さなどを背景に、全国的にみてもいっそう深刻な実態にあります。その背景の一つとして、歴史的な要因を見逃すことができません。
憲法の適用遅れた歴史
沖縄では、多くの住民が、死者20万人以上を出した沖縄戦の犠牲になりました。それだけでなく、長い間米国統治下にあった沖縄は、米軍基地の集中的な存在という問題とともに、日本の施政権が及ばず、長い間日本国憲法が適用されなかったという歴史があります。
憲法25条で定める生存権も、1972年の日本復帰までは沖縄の人々には保障されませんでした。本土で重要な朝日訴訟が闘われた時期も、沖縄では朝日訴訟自体について知らない人が大半を占めていました。
当時の琉球政府は、日本の生活保護法に準じて、1953年に沖縄版の「生活保護法」を制定しました。しかし同法には、日本の生活保護法とは異なり、生存権保障を目的として定める条文はありませんでした。何より、日米両国とも費用負担の法的義務を負わず、保護基準は非常に低い水準にならざるを得ませんでした。
基地が人権ないがしろに
日本への復帰を求める運動では、平和憲法への復帰と並んで、人間らしい生活を保障する権利を求めるという強い思いが沖縄の人びとの中にあったとお聞きしました。このような沖縄の歴史からは、憲法25条の重要性をあらためて考えさせられます。
そしてまた、沖縄の歴史をみると、軍事基地の存続のために人々の人権がないがしろにされてきたと言っても過言ではありません。現在、社会保障制度の改悪とともに、平和主義の侵害・空洞化が大きな問題となっています。多くの憲法学者が違憲だとする安全保障法案が国会で審議されるなど、平和憲法の空洞化が急速に進められようとしています。
生存権と平和 密接な関係
生存権は平和と密接に関係しています。両者を一体として実現することが重要です。平和がなくては他の人権も実現できないため、平和的生存権はすべての人権の「基底的権利」とされています。同時に、平和とは単に戦争や暴力がないというだけではなく、人権がすべての人に保障された状態というべきです。
貧困・欠乏から免れるという生存権や社会保障の権利が実質的に保障されることが、真の意味で平和が実現されるためには不可欠だと言えましょう。
このように、沖縄の歴史からみると、現在の憲法9条および25条の無視・空洞化の流れは、決して見過ごすことができません。多くの人が力を合わせ、憲法25条と9条に違反する流れに反対し、これらをしっかり守っていく必要があると思います。
(たかた・きよえ)
琉球大学教授。沖縄憲法25条を守るネットワーク会長。専門は社会保障法。著書に『人権としての社会保障―人間の尊厳と住み続ける権利』(共編著、法律文化社、2013年)、『憲法と沖縄を問う』(共著、法律文化社、2010年)、『スウェーデン社会サービス法における援助を受ける権利の保障』社会保障法24号など。
(2015年9月13日号「守る新聞」) |