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福島第一原発事故で新潟県への避難者 消えぬ心の傷・5回目の正月 「家賃補助全額継続して」

 福島第一原発事故から、5回目のお正月を迎えました。福島県から県外に避難した人は4万3776人で、うち新潟県への避難者は3568人(2015年11月27日復興庁データから)でした。今もなお、福島との二重生活を強いられている人などが多くいます。福島県は仮設・借り上げ住宅の供与を2017年3月で打ち切り、17年度以降2年間、低所得者や母子避難者を対象に1年目は家賃の2分の1(最大3万円)、2年目は3分の1(最大月2万円)の補助にします。今回は、福島から新潟に避難した、子どもを持つ3人のお母さんに、今の心境や要望などを聞きました。(西野 武記者)

恐怖のあまり母子避難

 郡山市の高橋真由美さん(43)は、2011年3月14日の2回目の爆発をテレビで見て恐怖を覚え、16日に家族全員で新潟県新発田市に避難しました。生まれも育ちも郡山の高橋さんは、「時間が経つにつれ親戚や友人を置いてきた自分を責めた」と言います。当時、小学校1年生と4歳の子どもと一度戻り、アトピーが悪化、新潟市西区に住居を見つけ、3年間の二重生活後、夫が会社を辞め家族で暮らしています。
 同じく郡山市の磯貝潤子さん(40)は、事故1年後の2012年の4月に母子で新潟市西区に避難しました。子どもは4年生と5年生(当時)女の子2人。「避難が遅れたのは、PTA副会長をしていて、学校の除染などに追われ、正義感ばかりが働いた」と振り返ります。「子どもの鼻血が回数を増し、子どもを守れないと感じ、うちの子だけでいいのかと苦悩の末の決断でした」と話します。現在も二重生活を続けています。
 いわき市の四倉町で小学校の教員をしていた水野谷理恵さん(43)は、3月13日に埼玉に向かい、出身地である兵庫県に避難。当時、子どもは小3と小1。夫婦で二重生活に入り、学校の掃除などで5月に福島に戻り、避難所の職員として働きました。「私自身が適応障害になり、アトピーの娘も頭痛、腹痛、吐き気がひどくなり、高校教員だった夫を説得、子どもを救いたい一念で、教員をやめ、2013年4月新潟に母子避難した」と言います。

「先の見えない避難生活」

 高橋さんは、最初母子3人暮らしだったので、住宅補助が6万円(3人まで)でした(4人以上9万円)。住居がなかなか見つからず、6万8000円の所に持ち出しで補てんして住んでいます。「福島に1人でいる自分の母親も一緒にと考えましたが、新規受け入れが打ち切られ…」と言葉につまりました。
 磯貝さんは、「とにかく先が見えない。福島に買ったばかりの家のローンだけが残った。二重生活がいつまで続くのか。苦しい思いを持ち続けることが本当に苦痛です」と目頭を押さえました。
 水野谷さんは、「2人教員で、収入が比較的安定していたので決断は早かったです。家があるため夫が判断を延ばし、家を売りました。子どもが不登校になるなど大変でした」と話しました。

「福島県民は棄民なの…」

 高橋さんは、「せめて『仮設・借り上げ住宅供与』の支援打ち切りだけはやめてほしいです。延長されても1年ごとで先行きが不透明です。せめて子どもが学校を卒業するまで対応してほしいです」と訴えました。
 磯貝さんは、「福島県民は棄民なのかなと考えてしまいます。東京で議員さんに請願に行ったり、スピーチしても結局打ち切りというのでは…。今の法律では対応できない部分も多く、原発被害者の新法を作ってほしいです」と語りました。
 水野谷さんは、「『仮設・借り上げ住宅供与』住宅支援の継続が一番です。高速道路の無料化は続けてほしいし、医療費の18歳以下は無料を大人まで広げてほしいです。また、『故郷に帰れ帰れ安全キャンペーン』だけは絶対にやめて、正確な情報を流してほしい」と話しました。
 吉田松雄全生連副会長・新潟県生連事務局長は「国は、反省もなく再稼働の動きを強めています。国や東電は100%補償しないといけません。私たちは言い続けることが大切。手を携えていきましょう」とエールを送りました。今回、紹介したのは、県外に避難したほんの一部の実態例です。声にならない悲痛な叫びが多くあることは想像に難くありません。国や東電は、こうした声に真(しん)摯(し)に耳を傾け、支援を継続し、名実ともに真の復興を急ぐべきです。


笑顔のクリスマスを

NPO法人スマイルサポート新潟理事長・根本久美子さん

 NPO法人スマイルサポート新潟は12月19日、新潟市西区金巻の「避難者交流施設」で避難者のためのクリスマスパーティーを開き、約100人が、楽しいひと時を過ごしました。
 福島避難者で理事長の根本久美子さんは、「事故から5年を迎えようとしている今もなおクリスマスを父と過ごせないでいる子どもたちが大勢います。国は、早く支援を打ち切りたがっていますが、みんな大変な思いで生活しています。少しでもサポートができたらと思います」と語りました。

(2016年1月17日号「守る新聞」)

 
   
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