「原発ゼロ」を求める統一行動「原発のない未来へ! つながろう福島! 守ろう命!」が3月26日、東京都渋谷区の代々木公園で開かれました。「原発をなくそう」と全国から約3万5000人が参加。3つのステージに分かれて脱原発を強く訴えました。全国の生活と健康を守る会も福島、静岡、首都圏を中心に多くの会員が足を運びました。(西野 武記者)
メーンステージでは、ルポライターの鎌田慧さん、作家の澤地久枝さんをはじめ、脱原発首長会議の村上達也さん(元茨城県東海村村長)、ベラルーシから来たチェルノブイリ原発事故被害者ジャンナ・フィロメンコさんらが、異口同音に「原発を葬り去ろう」と訴えました。
福島県の生活と健康を守る会は、全生連の大きな旗と赤い法(はっ)被(ぴ)に身を包んだ福島市の2人を先頭に、会津若松2人、霊山2人、郡山5人、白河など合計で15人が参加。手には「福島を返せ」「安倍政権ノー」「原発いらない」「福島を忘れるな」などのプラカードやのぼりを握り、熱い思いで発言者の声に耳を傾けていました。
会場となった代々木公園は、青空の下、黄色とピンクの「つながろう福島」プラカード一色に染まり、集会後、「原発なくせ」「再稼働絶対反対」の声を響かせ、3つのコースに分かれて脱原発を訴えてデモ行進しました。
家族バラバラ一番つらい
福島・松川町 佐藤みつ子(66)
私は、原発事故前は福島県飯舘村で長女・孫と同居、次女の家族(夫・孫4人)が近所にいて家族で商売をしていました。事故後は、家族はバラバラになり、今は、松川町の小さな借り上げ住宅に住んでいます。住宅が狭く長女とは同居できませんが、近くには住んでいます。しかし、次女家族は、孫が小さく放射能が心配ということで、神奈川県に引っ越してしまいました。商売、家族関係すべてが崩れました。
移住(避難)させられてからは、補償金や慰謝料をもらっているなどさまざまな理由から飯舘から来たと言いづらいです。同じ県民でもバッシングを受け、つらく苦しくストレスをためて隠れるように暮らしています。
政府は、原発再稼働の動きを強めています。こうした政府は「福島の原発事故を無視」するものです。事故後5年がたっても、苦しみはあの時のままです。私たちの悲しみをこれ以上広げないためにも、即刻原発はゼロにすべきです。
知れば知るほど問題深い
静岡市 日比野隆司(67)
私は、浜岡原発停止訴訟の原告の一人です。「生健会」では、人権を最重視して運動をしてきました。平和や人権を侵すのは、原発、戦争です。浜岡にも原発があります。
福島の事故を知れば知るほど、問題は深く、原発事故は終わっていないことが分かります。事故の原因がいまだに明確になっていません。静岡の浜岡原発も、海岸線にあって、近隣は多くの人が住んでおり、避難計画が行政から明確に示されていません。
もしも、人間の手で押さえることができない原発事故が再び起きたら、取り返しのつかないことになり、家族やこれからの子どもたちのことを考えると、原発ゼロ、廃炉しかありません。全国が福島とつながり、学ぶことが大切です。
(2016年4月10日号「守る新聞」) |