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政治変え 運動強め

原発ゼロに

震災から8年 安倍政権は無策・無慈悲

 東日本大震災発生から8年が過ぎました。この間、災害公営住宅の整備など復興事業は、一定は進展しています。しかし、被災地・者は課題山積で、原発事故も収束にはほど遠いのが現実です。手厚い支援を口にするだけの政府はあてになりません。市民目線での支援活動が繰り広げられ、原発再稼働絶対反対は民意の多数派です。減ったとはいうものの、今なお5万人を超える人たちが避難生活を送っています。あの日の前にあった日常を取り戻したい―。国民の願いです。(番匠 ェ記者)

何より安全と安心

各地で反原発集会

 補償を縮小し、インフラ整備が伴わない避難指示解除地域への帰還をあおるなど、原発事故被災者を顧りみない政府。自らの責任にはふたをしたままあいかわらず原発に固執し、再稼働だけでなく、すでに破綻しているにもかかわらず輸出にも前のめりです。
 冷たい政府と原発には我慢がなりません。今年は3月11日が平日ということで、その前の週末の9日や10日に各地で反原発集会がありました。東京では大がかりな集会が続きました。

上野公園で

 原発をなくす全国連絡会が主催した9日の「福島を忘れない 3・9全国集会」。会場の上野恩賜公園野外ステージは、1300人(主催者発表)の人たちであふれました。
 メーンスピーチは原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟幹事で震災発生時には静岡県湖西市長だった三上元さん。「メーンなのに割り当てられたのは10分」などユーモラスな語り口で、世界的な反原発の流れを語り、それとは正反対の政府の姿勢を鋭く批判しました。
 高校2年の時に楢葉町で被災した女性も登壇。被った被害とそれを乗り越えて前に進む決意を、次のように話しました。
 「一家は散り散りになり、3年生になった私は高校のあるいわき市で一人暮らし。長野の大学に進学したが、そこでは出身地の話をするのが嫌だった。原発をなくすのが苦しみを取り払う第一歩で、今は福島に戻り運動を進めている。最後まで声を上げ続ける」
 会場には各地の生活と健康を守る会会員の姿も。その一人、福島県の喜多方生活と健康を守る会の酒井宏和さんは「地元でも毎月、宣伝を行っている。より大きな運動を進めたい」と話していました。

国会前で

 翌10日、国会前に首都圏反原発連合の呼びかけに応えて、2800人(主催者発表)が集まりました。「再稼働反対! 原発ゼロ政権の誕生を!」と政権交代・エネルギー政策の転換を求める声をとどろかせました。
 菅直人元首相、立憲民主党や共産党など野党の国会議員、元経済産業省官僚ら多彩な顔触れの著名人も駆け付けてスピーチ。参加者は大きな拍手でそれに応え、脱安倍政治・原発のない社会創生に向けた決意を固め合いました。


毎月11日は災害の日

蕨市生健会

 3月11日午後5時30分、埼玉県蕨市のJR蕨駅西口で力強い声が響き渡りました。毎月11日を「災害の日」とし、蕨市生活と健康を守る会(浅名勝次会長)を中心に取り組んでいる、震災被災地支援と原発からの撤退を訴える定例宣伝です。
 例年、3月は拡大版。生活と健康を守る会、新日本婦人の会、全日本年金者組合、蕨地区労働組合協議会など地域で活動する団体などで実行委員会を組織し、駅頭でアピールしています。今年は30人近い人たちが参加。訴えの傍らで、チラシとポケットティッシュを配布しました。
 生活と健康を守る会の企画として2011年7月に始まりました。以降、天気の良し悪しには関係なく、毎月途切れることなく続いています。月1回とはいえ毎月欠かさずは、並大抵のことではありません。
 「正直言ってやめたいと思ったことはある。こんなに続くとは思っていなかった」と浅名さん。続けて「でもずっとやらねばならないこと」と言い切りました。

(2019年3月24日号「守る新聞」)

 
   
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