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岩手県生連・盛岡生健会

50周年を祝うつどい

全生連吉田会長代行が講演

 岩手県生活と健康を守る会連合会(県生連)と盛岡生活と健康を守る会(生健会)は9月5日、盛岡市内で「創立50周年のつどい」を49人の参加で開きました。生健会があって助けられたと、心に染みる発言や「新聞の1割増を目指そう」と意思統一もされました。

 つどいには、全国生活と健康を守る会連合会(全生連)から吉田松雄会長代行と西野武事務局長が来賓として参加しました。
 澤田稔岩手県生連会長は、開会あいさつで冊子『「いわて」の生健会 50年のあゆみ』の紹介を行い、その中で、「岩手の生健会は、盛岡に医療生協の診療所をつくる運動と並行して取り組み、1968年3月に盛岡生健会、翌69年11月に県生連が創立された」と述べました。
 来賓のあいさつをした日本共産党副委員長の斉藤信県議は「生健会は、弱い立場の人々の生存権を守る運動を続け、東日本大震災津波では被災者の救援、復興に取り組んできた。敬意を表したい」と述べました。
 全生連の吉田松雄会長代行は記念講演の中で、「コロナ危機の下、多くの人が生活に苦しんでいる。新潟では7万枚のチラシを配布、毎日相談者から電話があり、国や自治体の制度を生かし救済に取り組み喜ばれている」と紹介しました。

震災復興道半ば

孤独死なくしたい

 盛岡生健会の村山繁会長はあいさつで「今年の大会で会長に就任しました。盛岡は、合葬墓を盛岡市に作らせる要求と補聴器に公的助成を求める要求など会員の『私の一言要求』の実現に奮闘し、コロナ相談と会の紹介ビラ配布に取り組んでいる」と紹介しました。
 釜石・大槌生健会の中村公男さんは「災害公営住宅はできたが、50歳の女性が飛び降り自殺した。知人の息子さんが仮設住宅で孤独死していた。このようなことをなくしたい」と述べました。
 県連女性部長で西和賀生健会の高橋和子さんは、「沢内村の保健婦に就職し、命と健康を守る議員となり、生健会をつくり、岩手県連女性部の第1回つどいを沢内村で開催するなど運動を続けてきた」と述べました。

再入会します

元ホームレス、埼玉から

 「私はホームレスでした」と話し始めた野田房夫さんは、「埼玉で悩んでいた時、『高齢になれば故郷がよくなる』と生健会の人に言われ、盛岡に戻ってきた。生健会の仲間に助けられ部屋を借り、仲間に迎えられて生きる力になった。しばらく離れていたが、もう一度、生健会に入会する」と発言し、歓迎の拍手で盛り上がりました。
 全生連の西野事務局長が最後にあいさつで、「会員の友達が入会する確率が8割になっている。ここを大事に友達に声をかけよう。全国で1割増の大運動で新聞8ページ建てを守ろう」と呼びかけました。
 元県連事務局長の斉藤桃江さんは「いいつどいになった」と笑顔で感想を語りました。
(多田久夫通信員)


岩手県生連の歴史 『50年のあゆみ』から

 1954年11月、全生連結成。岩手県は「一関」から参加。
 68年3月、盛岡生活と健康を守る会結成。69年11月、岩手県生活と健康を守る会連合会を4組織で結成。79年2月、盛岡で身体障害者バス割引簡素化と生活保護の休日夜間受診証簡素化実現。
 2002年11月、第27回県連大会(12単組2準備会)。2011年3月、東日本大震災で大船渡と陸前高田の会長は津波死、釜石会長も関連死。3次の動員で沿岸12自治体に2万枚の相談チラシ配布。11月、山田町生健会50人で結成。大槌吉里吉里班が会員20人に増やして発足。
 20年5月、盛岡第50期大会、10月24日、第40回県連大会。

(2020年10月11日号「守る新聞」)

 
   
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