生活保護利用者の生活実態には触れず
京都地裁、原告の請求棄却する不当判決
全国で闘われているいのちのとりで裁判(生活保護基準引き下げ違憲訴訟)、京都では新・生存権裁判の名称で闘われています。2020年6月の名古屋地方裁判所での判決から大阪、福岡、札幌の地裁で判決が出されました。結果は、大阪地裁では原告勝利の判決を勝ち取りましたが、それ以外の地裁では原告の請求を棄却するという不当判決が出されています。9月14日に京都地裁で出された判決の報告です。
ひどい判決
京都で闘われている新・生存権裁判の判決が9月14日、京都地方裁判所(増森珠美裁判長)でありました。
私たちの請求を全面的に棄却する不当な判決でした。判決は「厚生労働大臣には専門技術的かつ政策的な見地からの裁量権が認められると」とし、国の財政事情や国民感情を広く考慮する必要があり「引き下げの判断に裁量権の逸脱や乱用があるとは言えない」としました。
さらに判決は、最高裁平成24(2012)年2月28日判決において判示された「統計等の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見等の整合性」を一切判断基準に入れず、また、生活保護法8条2項の事項を考慮することが義務づけられないとする点など、生活保護基準は、最高裁の判決や法律を守らずに決めてもいいとする、ひどい判決でした。
負けてはならない
生活保護基準は、憲法や生活保護法で要件が定められていて、勝手に決めていいわけがありません。しかも、判決には生活保護利用者の生活については、一行の記述もありませんでした。
判決後の報告集会で、尾藤廣喜弁護団長は「引き下げによる生活実態を見て判断すべき、引き下げが厚生労働大臣の勝手な判断で決まってよいのかと裁判で求めたが、判決は原告の生活実態に全く触れられていない。厚生労働大臣の裁量に委ねられるという、最低最悪の何でもあり判決でした。改めて、怒りとこんなことで負けてはならない、という決意でいっぱいだ」と話しました。
原告の新たな決意
これまでの裁判期日で原告のみなさんは、節約を越えた生活実態を裁判長に訴えてきました。
この日も報告集会で、原告の森絹子さんは「諦めることで生活をしている。果物やケーキは高くて買えない、お金のかかる付き合いはできない、残念です。健康で文化的な生活はできていない、普通の生活がしたい」と訴えました。
法廷で多くの原告が行った陳述を、裁判長はどんな思いで聞いていたのか、そのことが一言も述べられていませんでした。原告の生活実態に向き合おうとしない、血も涙もないひどい判決でした。
また、原告の小松満雄さんは「裁判所の人も1か月、2か月、生活保基準額で過ごしてみたら生活保護利用者の気持ちが分かると思うのだが」と発言し、「これからが始まり、頑張る」と決意を述べました。
「健康で文化的な生活」は、全ての国民に保障されています。まさに司法の責任放棄、ひどい判決でした。
原告団長の永井克己さんは「判決は悔しいが、私は諦めない」と、次の闘いへの決意を述べました。
さらに弁護団や研究者、支援者から次々と発言がありました。
一丸となって勝利へ
全国の仲間からも激励をもらいました。
生活保護はコロナ禍で生活困窮に陥っている多くの人々の命綱です。私たちは、このひどい判決をこのまま見過ごすことはできません。報告集会の最後は、「頑張ろう」と、みんなでこぶしを突き上げました。
全国の仲間のみなさんへ「エール、ありがとうとうございました。スクラムを組んで、これからも頑張りましょう。そして、勝利しましょう!」。
(田中章一通信員)
(2021年9月26日号「守る新聞」) |