政府の核兵器禁止条約参加へ力尽くす
原水爆禁止2023年世界大会 ヒロシマデー集会
広島と長崎に原子爆弾が投下されてから78年が過ぎました。岸田首相は「戦争をする」国づくりをいっそう加速させています。このような中で今年も原水爆禁止世界大会が行われました。今年は「被爆者とともに、核兵器のない平和で公正な世界を」をテーマに、被爆地である広島・長崎の会場で8月4日から9日にかけて国際会議、ヒロシマデー集会、世界大会、ナガサキデー集会が開かれました。6日に行われたヒロシマデー集会の様子を報告します。
日本が先頭に立ち
核兵器の廃絶を
5月に広島で開かれたG7サミットでは「核兵器は、それが存在する限りにおいて、防衛目的のために役割を果たす」という「核抑止」を肯定する宣言が出され、広島だけでなく国際社会からも怒りの声が上がりました。
広島への原爆投下から78年目の8月6日午前の、「核抑止力」を強く否定する広島平和記念式典での平和宣言と広島県知事のあいさつにつながりました。
その日の午後、広島市内で原水爆禁止2023年世界大会のヒロシマデー集会が開かれ、1500人が集まりました。
集会では広島の被爆者、矢野美耶古さんや節子サーローさんの被爆を通した人生が語られました。
海外代表からは唯一の被爆国である日本の政府が、核兵器廃絶のための先頭に立つべきだと語られました。
世界大会につなげた
女性たちの力
日本政府に対して核兵器禁止条約に署名、批准を求める全国署名の呼びかけ人となったライターの和田靜香さんは、原水爆禁止世界大会の始まりにつながった、東京都杉並区で魚屋を営んでいた菅原トミ子さんのエピソードを紹介し、「毎日の生活に精一杯で、考える余裕なんてない。自分もそうだった。でも、核兵器廃絶を求めて署名を広げていったのは、当時のそういう女性たちだった」と話しました。
また、女性たちは戦時中、自分の息子を「喜んで」と言って戦争に送り出した壮絶な経験がありました。今は女性にも参政権があり、今度こそと反対すると、「女は静かに家にいろ」という罵(ののし)りを受けながらも、署名を集め続けたと紹介しました。
若い世代の参加者にとって、実生活と核兵器の存在、平和とは何かということをつなげて考える貴重な機会になりました。
集会では、核兵器廃絶のために後世に何をつなぐのかが一つのテーマとなりました。
最大の人権侵害である原爆投下の被害は、終わったわけではありません。
広島で「被爆地域外」とされてきた「黒い雨」の被害者が、やっと被爆者として認められてきてはいますが、認定が出なかった人たちも多く、また、長崎では全く認められていません。
この怒りを広げ、核に依存し続ける為政者にその被害の救済を突きつけていかねばなりません。
参加者は最後に「広島からすべての国の政府への手紙」として、「核兵器を使用することは、いかなる状況でも断じて許されない」と、核兵器が使用されかねない現在の状況の打開を求め、「日本の政府が『核の傘』への依存を改め、核兵器禁止条約に参加するよう力を尽くす」との広島決議を採択しました。
(平野百合子通信員)
(2023年8月27日号「守る新聞」)